arasan1951’s blog

69年間の人生の叡知!森羅万象に物申す

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

どん底のオーバー・ザ・レインボー

オーバー・ザ・レインボーは戦前のアメリカ映画『虹の彼方に』の主題歌。 虹の橋の下に、幸せの国があると言う歌詞です。 私は、人生どん底の時に、美しい虹を見ました。 そしてこの歌の歌詞を思い出したのです。 ちょうど30代後半から、40代後半にかけてで…

人生3度の浪人生活!

一度目は大学入試に失敗した18歳の春から1年間。 二度目は就職に失敗した大学卒業からの半年間。 三度目は、「それでもあんたは社長か」と言って首になってからの半年間。 でも、それらは、決して回り道でもなかったし、無駄ではなかった。 一度目はそれまで…

ロックアウトの憂鬱

ロックアウトという言葉も、死語になってしまって、今はもう殆ど耳にすることはありません。 しかし私が早稲田に行っている時は、毎日このロックアウトの中で暮らしていました。 当時は70年安保からその挫折直後で、政治的心情を持たない学生はノンポリと言…

木造校舎のゲタの音

今はもう、夏場でも下駄を履いている人をあまり見かけなくなりましたが、私の若い頃は結構多くの人が下駄を履いていました。 早稲田大学に通っていた頃は、生協にも下駄が売っていて、そこで買った下駄を履いて、よく大学に通ったものです。 いざ実際に履い…

買うなら町の自転車屋さんがお勧め!!

私はどんな自転車も、買うなら町の自転車屋さんでと決めています。 今乗っているロードバイクは16万円しましたが、それもカタログを見ながら、二人でああでもない、こうでもないと議論した末に取り寄せて購入したものです。 ネットで見ると12万円で売ってい…

品川沖のカレイの煮付け

またまた古い話です。 私の子供の頃は、品川にも漁師さんがいて、毎日とれたての魚を売って歩いていました。 だいたいが海苔の養殖も兼ねているので、売り歩く量もたかが知れているのですが、お馴染みさんも多く、決まった辻々にリヤカーを止めて、お客さん…

給食の脱脂粉乳で元気になりました!

脱脂粉乳と言っても、赤ちゃんの粉ミルクではありません。 私が小学校に入った年から始まった、給食で支給された、進駐軍払下げの粉ミルクです。 不味くてとても飲めたものじゃない、と友だちは半分以上残す者が多かったのですが、私はどういうわけかその味…

生命そのものを3度見ました。

一度は地下鉄銀座線で表山道から渋谷駅へ向かう途中、地上に出た瞬間、二度目は、堂平山から自転車で下って来て、越辺川のほとりで水面を見ていたとき、そして三度目は、中国を旅行して上海の空港に向かうタクシーの中からはるか平原に立ち上る、生命の陽炎…

人生の真理は風呂焚きにあり!

昔はお風呂は薪で炊くのが普通で、それから灯油になり、ガスでお風呂を炊く時代になりました。 そもそも自分の家にお風呂がある家も珍しくて、みんな近場の銭湯を利用していました。 そんな中、私が小学校に上がるころ、我が家にお風呂場ができました。 と言…

誰が開けた、パンドラの箱?

異常気象に、疫病、大不況とくれば、誰であれ、こう叫ばずにはいられないでしょう。 「いったい誰がパンドラの箱を開けたんだ?!」 私は子供のころからギリシア神話が好きで、岩波文庫のギリシア神話を繰り返し読んできました。 そしてこの「パンドラの箱」…

アルカリガラスの味わい

またまた次兄の話で恐縮です。 次兄は前立腺癌で数年前に亡くなったのですが、病気になる数年前のこと、定年退職して、悠々自適となったところに、一度ご機嫌伺いに行きました。 すると、お前だけに宝物を見せてやると言って、やおら台所の板の間に座り込ん…

雨の北品川駅

これもまたまた古い話です。 私の次兄は中学を卒業するとすぐ、都内のガラス工場に勤めて、コップだのクラスだのを作っておりました。 体格のいい人で、背も高いし、筋肉隆々で、幼い私から見ると、雲を突くような大男でした。 ところが、雨降りとなると、ど…

焚き火ばた会議

井戸端会議ならぬ、焚き火ばた会議というのが昔はあったのです。 消防署のお達しで、今はもう都内で焚き火を見ることはありませんが、私が小学生ぐらいまでは、焚き火はそこかしこで、普通に見られた光景です。 特にその当時の品川は海苔の生産地でしたので…

大動脈瘤破裂の壮絶!

今日は私の三兄の話です。 私の長兄、次兄、三兄の3人は、戦前の朝鮮、今核開発で有名なニョンビョン(寧辺)で生まれました。 三兄は独立心旺盛で、男義に溢れ、弟たちの面倒もよく見てくれました。 20代で独立し、鶴見で土木会社を立ち上げ、日本石油と直…

それでもアンタは社長か!?

サラリーマンが絶対に口にしてはいけない言葉、酔っ払っていようとどうだろとこれだけは言ってはいけない言葉、それが「それでもアンタは社長か!?」です。 その言葉を口にして、首になったのが、悲しいかな入社2年目の私でした。 それでなくとも、第一次石…

台場小学校の二部授業

これもまた古い話です。 今から60年以上も前の話です。 私のすぐ上の兄が昭和22年生まれの、ドンピシャ団塊の世代でその4年後に生まれた私はポスト団塊の世代になります。 当時は戦後間もない時代で、私が小学校に上がる年に完成するはずだった台場小学校が…

地下鉄銀座線渋谷駅手前で見たもの

地下鉄銀座線渋谷駅のホームが移動して、もはや地上部分の線路が無くなってしまったというニュースが流れました。 実は、あの表参道から渋谷駅に向かって行くと、地上部分に出るあの場所で、今から50年近く前、私はとても不思議なものを見たのでした。 前日…

71歳で初婚、幸福な晩年でした!

数年前に亡くなった私の姉は、71歳で初婚でした。 丁度私も今の奥様と再婚したばかりでしたので、それじゃあ、合同でお披露目会をしようということになり、中野のサンプラザで親類縁者一同が集って、宴を開きました。 姉のお相手はもちろん再婚でしたが、私…

バレンタインコンサート!

昨夜は、東京池袋要町のプラサ・ギターラで、バレンタインコンサートが催されました。 昨年のハロウィンコンサート以来の催しです。 曲目は、サイモン&ガーファンクルの懐かしい楽曲で、メインのタケナカさんはじめ、サイドギターの日野さん、ウクレレの長岡…

山巓の風、雲、自由!!

自転車乗りの間では、ヒルクライムと言って、峠を攻めることに生き甲斐を感じている輩がいます。 国内にはヒルクライム専門の競技会もありますし、ツール・ド・フランスでも、アルプス越えは大会の花です。 ですが、このヒルクライム、見るとやるとでは大違…

馬場下の三朝庵がコンビニになってしまいました!

毎年大晦日には、馬場下の穴八幡にお詣りして、御守りをいただいて来るのが恒例になっていて、その際、交差点の向かいにある、三朝庵というお蕎麦屋さんで年越し蕎麦をいただいて帰ってきておりました。 この三朝庵というお蕎麦屋さんはとても古いお蕎麦屋さ…

ブログは文学か?

はい、文学です。 なぜなら文学はレトリック(修辞学)だからです。 修辞学とは言葉を飾る学問、美辞麗句も修辞学ですが、完結な文章も修辞学です。 ブログは文学には違いないのですが、別の側面、情報の伝達・共有という面もあり、普通はそちらの方の用途の…

悟るとは、目が開く、という意味!

またまたチコちゃんふうに言うと、悟りって何? よく偉いお坊さんが、一瞬にして悟りを開いた、と言いますが、それではこの悟りを開くとはどういうことなのでしようか? 迷いも何も打ち払って、宇宙の真理に到達したのでしようか? 悟りという意味のサンスク…

いとこ6人のうち、生き残ったのは一人

もうすぐ3月11日ですので、それに関連した話題を一つ。 私の父と母は共に福島県相馬市の出身で、共に同じ苗字でした。 つまり、次男坊だった父は見込まれて、親戚の家に婿に入ったというわけです。 私は兄弟も多いのですが、いとこも福島に6人おりました。 …

倒れる前のリハビリ?!

脳梗塞などで倒れた後に行うのがリハビリ。 では、倒れる前のリハビリとは何でしょう? それは自分が倒れたと思ってするリハビリです。 リハビリである以上、仕事が忙しいと言って、休むわけにはいきません。 リハビリは毎日きちんとやらなければなりません…

遥かなる海の呼び声!

遥かなる山の呼び声ではありません。 70年近く人生を生きて来ると、時々不思議なことがあります。 今から10年ほど前、私は大腸癌が見つかって手術をして、危ないところで命拾いをしたのですが、その時病院に行ったきっかけが、57歳の一人旅だったのです。 後…

文学って何?

今流行りのチコちゃんふうにお聞きします。 文学って何? そして文学部って何? 大学に通っていた頃、必ず人から言われました。 「先生にでもなるのか?」 私は曖昧に笑うだけです。 正解は、文学とはレトリック(修辞学)です。 昔、遠藤周作がフランスに留…

早稲田大学第一文学部というところ

1970年早稲田大学第一文学部に入学しました。 学生番号は370Tが頭につく番号だったと思います。 1年浪人していたので19歳でした。 高校は都立田園調布高校です。 予備校にも行かずに早稲田大学に入ったので、高校の先生たちもびっくりでした。 大学3年の時に…

6転び7起き、今のところ!

よく人生7転び8起き、と言いますが、今のところ私の人生は6転び7起きです。 7転び8起きは人生の例えで、どんな艱難辛苦に遭っても、諦めずに頑張れ、ということなのだと思いますが、わたしの場合は、例えではなく、実際の挫折体験が6度もあったということで…

エジソンタイプ

先日NHKの「偉人たちの健康診断」という番組でエジソンが取り上げられていました。 その中で、エジソン本人がインタビューに答えて、「自分は生涯45年間、人の倍働いて来た、つまり90年間働いて来た」という場面がありました。 これを聞いて、私は「自分もそ…