ロックアウトの憂鬱
ロックアウトという言葉も、死語になってしまって、今はもう殆ど耳にすることはありません。
しかし私が早稲田に行っている時は、毎日このロックアウトの中で暮らしていました。
当時は70年安保からその挫折直後で、政治的心情を持たない学生はノンポリと言われて、みんなからバカにされていました。
私はその代表的な存在で、全く政治に興味は持てませんでした。
その当時、早稲田の文学部は、革共同革マル派の拠点で、ヘルメットにゲバ棒を持った輩が肩で風を切って歩いていました。
その革マル派の学生たちが、教室や廊下に椅子や机を積み上げて、学校を封鎖してしまうことをロックアウトと言います。
学費値上げはまだ分かるとしても、成田闘争の共闘だとか言ってロックアウトするのは全く意味が分かりませんでした。
自分たちで月謝を払っておきながら、授業をさせないというのは一体どういうつもりなのでしょうか。
しかし、ノンポリの学生たちは、それを口に出せませんでした。声に出せば、自己批判を迫られて、場合によっては集団リンチを受ける恐れがあったからです。
いまだにあの時の恐怖を夢に見ることがあります。