arasan1951’s blog

69年間の人生の叡知!森羅万象に物申す

絶望できるという可能性!?

言葉遊びではありません。

聞きなれない言葉ですが、意味をきちんと辿ると、とても含蓄のある言葉です。

キルケゴールの『死に至る病』という本の中に出てきます。

大学の哲学のレポートの課題として読んだものです。

「絶望できるという可能性」とは何かというと、かみ砕いて言うと、何時だって諦められるよ、ということで、いろいろやっても、駄目なら諦めりゃぁいいんだ、と開き直ることです。

でも、キルケゴールは「絶望するのは堕落だ」とも言っています。

何時だってやめられるし、いろいろやって、駄目ならやめればいい、と言いつつ、止めてしまうのは堕落だ、とこう言っているわけですね。

私はこの「絶望できるという可能性」を知らずに、頑張ったため、精神病院に入院してしまいました。

病名は「躁状態」だったのですが、先生からは、あなたの病気は「頑張りすぎ」と言われました。

「絶望無くして希望無し」とよく言われますが、正しくは「絶望できるという可能性があるからこそ、希望を探せる」と言うべきでしょう。

この歳になって初めて、「絶望の哲学」が分かったかも知れません。