絶望できるという可能性!?
言葉遊びではありません。
聞きなれない言葉ですが、意味をきちんと辿ると、とても含蓄のある言葉です。
大学の哲学のレポートの課題として読んだものです。
「絶望できるという可能性」とは何かというと、かみ砕いて言うと、何時だって諦められるよ、ということで、いろいろやっても、駄目なら諦めりゃぁいいんだ、と開き直ることです。
でも、キルケゴールは「絶望するのは堕落だ」とも言っています。
何時だってやめられるし、いろいろやって、駄目ならやめればいい、と言いつつ、止めてしまうのは堕落だ、とこう言っているわけですね。
私はこの「絶望できるという可能性」を知らずに、頑張ったため、精神病院に入院してしまいました。
病名は「躁状態」だったのですが、先生からは、あなたの病気は「頑張りすぎ」と言われました。
「絶望無くして希望無し」とよく言われますが、正しくは「絶望できるという可能性があるからこそ、希望を探せる」と言うべきでしょう。
この歳になって初めて、「絶望の哲学」が分かったかも知れません。