寒空の下、地下鉄の排気口
前の会社に勤めていたころですから、もうかれこれ30年ほども前のことになります。
クリスマスの夜でした。
仕事を終えて大塚の駅に向って歩き出したとき、地下鉄の排気口の上に毛布のようなものが置かれているのに気づきました。
結構風が強かったのに、毛布のようなものは微動だにしません。
何だろうと不思議に思って近づきながら、思わず私はその場に釘付けになってしまいました。
暗闇に目を凝らしてみると、紛れもなくそれは毛布をかぶった人間の寝姿なのだったのです。
私は凝然とその毛布にくるまれた塊を見ました。
時刻は夜の11時を過ぎていたでしょうか、気温は低く、吹き荒れる北風に体が小刻みに震えてきます。
しばらくその場でその塊を見ていましたが、いつまで見ていても、その塊は微動だにしません。
電車の時間があるので、その場を離れながら、クリスマスの夜に、暖を取るために、地下鉄の排気口の上で寝ている人の気持ちを想像してみようとしましたが、あまりに過酷な状況に、その気持ちを推しはかることもできません。
ただただ、自分がクリスマスの夜に地下鉄の排気口の上で寝ないで済むことを感謝するばかりです。
お釈迦様は、人生の苦労を生老病死の四大苦と言いましたが、今は、それに貧困を加えて五大苦ではないでしょうか?
いまだに、どんなに自分が苦境にあろうとも、あの寒空の下の地下鉄の排気口に転がっていた塊を思い出すと、自分の幸運を感謝せずにいられません。